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オーステナジア

概況

首都ライスの公園

オーステナジアは、首都ライスシティなど1シティ4タウン1マーチ5テリトリー1王室属領がブリテン諸島に、1シティ3タウン4王室属領が南北アメリカ大陸に、2王室属領がユーラシア大陸に、1王室属領がアフリカ大陸に属しています。面積はおよそ0.3763㎢と、世界の中でも小規模な国家です。

人口は83人、その他に在外の名誉臣民343人がオーステナジアに属しています(2017年6月現在)。名誉臣民の資格取得申請は全世界から受け付けていますが、保有者は正式な国民とは認められない、主として儀礼的、名誉的な称号です。

オーステナジアはジョナサン一世皇帝陛下によって率いられる議会制立憲君主制で、皇帝陛下が執行権、立法権、司法権を総覧され、枢密院理事会の助言のもとに国政を率いておられます。立法権は議会の上下両院および首相が行使しています。

 

歴史

建国を記念して撮影された帝室の写真。当時、首相ジョナサン一世殿下(現皇帝陛下)は弱冠13歳、キャロライン殿下は10歳であられた

オーステナジア初代皇帝テリー一世陛下は、2008年に連合王国からの独立を宣言され、ライスの地にオーステナジア帝国を建国されました。独立宣言は英国議会議員及び政府に通達されました。

2009年1月31日からは「成長する栄光の時代」と呼ばれ、文化的進歩と領土の拡張がこの時代の特徴です。独立から数ヶ月経過した2009年2月、スコットランドの高原グレンクレノノッグがオーステナジアに併合、さらに二ヶ月後にはゼフィリアが帝国の領土となりました。

さらに同年5月には陸軍が組織され、帝国と隣接するコンミウスフラッツを帝国の版図に組み入れていきました。

この頃から帝室は国政から遠ざかり、議会による政治が進められていきます。国際関係の拡大に加え、法整備の充実が進み、2009年9月20日からの歴史は「尊敬される調和の時代」と称されています。

2010年2月15日、初代皇帝テリー一世陛下は退位を宣言されました。ジョナサン一世殿下が帝位継承を辞退したため、翌日エズモンド三世陛下が二代皇帝に即位されました。

これをめぐって、エズモンド新皇帝とキャロライン王女との間で対立が起こり、キャロライン王女の側近であったマーシャル・ウィリアム将軍が3月7日、政府に対し内戦を引き起こしました。世に言うオーステナジア内戦です。これは5月24日に終結し、ラスキンロード条約によって政府側の勝利が確定しました。これら一連の時代を「皇威統一の時代」と呼びます。

続いて、エズモンド三世とジョナサン皇太子の間の確執が深まり、オルリウス統一戦争に発展しました。戦争中の2010年12月、エズモンド三世はオーステナジアを共産主義化する構想を発表しました。帝国内閣地域では議論が紛糾し、戦争は他国の介入も招き泥沼化していきます。統一戦争は最終的に君主制を支持するジョナサン派が勝利し、ウィルクスランド公爵であったデカラン1世とエズモンド三世との帝国共同統治の時代に移ります。これにより、「力強い帝国の時代」から「共同帝国の時代」へと時代は進んでいきました。

共同帝国の時代下では軍隊が再編され、軍中枢の支配権が帝国政府に取り戻されました。共同統治は初めは成功していたものの、次第に民心がエズモンド三世から離れ、最終的にエズモンド三世は退位されました。ここに共同帝国の時代は終焉を迎えます。

時代が「尊敬される栄光の時代」へと移った2011年5月20日、ジョナサン王子は英国の議会議員、トム・ブレイク氏と、英国の帝国への姿勢について会談しました。この後、ブレイク議員は、オーステナジア政府に変わって英国外務省に独立宣言文書を送りました。これ以降、オーステナジア外務省は英国政府と独立と自治などについて、継続的な協議を行っています。

2011年9月の憲法改正によってエズモンド三世が正式に国政から除かれた時から「威厳のある帝国の時代」が始まります。この時代には、オーステナジアは盛んな外交を展開し、多数のミクロネーションと国交を樹立しました。結果、ミクロネーションの国際的なコミュニティであるMicroWikiにおいてオーステナジアは2012年に「最も影響力のある国」に選出されました。

歴代皇帝

2013年1月、デカラン一世の退位により、ジョナサン一世陛下が皇帝に即位され、「インペリアル・グローリー」の時代が始まりました。現在、オーステナジアはジョナサン一世皇帝陛下の下でさらに領土を拡張し、国際関係を拡張しています。